「伝統を守る」「日本の誇りを取り戻す」。そんな言葉が、近年の保守政治の中で頻繁に語られるようになりました。

一見もっともらしく聞こえるこれらの言葉。しかし、その“伝統”とは具体的に何を指すのか? “誇り”とは誰が決めるのか? 私たちは今、問い直すべき時に来ているのではないでしょうか。

取り戻したいのは“明治国家”? それとも“戦後の否定”?

復古主義的な保守の多くは、戦後体制を「押し付け」として批判し、戦前・戦中の国家像を理想化する傾向があります。特に憲法、教育、皇室制度、家族観といった分野でその傾向は顕著です。

たとえば、ある保守系議員は「戦後体制を打破し、日本らしさを取り戻すべきだ」と訴えます。しかしその“日本らしさ”とは、明治以降の中央集権国家モデルや、戦前の国家主義的教育制度を意味していることが少なくありません。

しかし、それは果たして「伝統」でしょうか? 明治維新以降に急速に導入された制度や価値観は、江戸時代以前の日本的共同体のあり方や、多様で柔らかな文化と矛盾するものも多く含んでいます。

「伝統」という言葉の使われ方

明治から昭和初期にかけて、日本は「欧米に追いつけ追い越せ」を国家目標とし、西洋型の中央集権体制や軍事制度、官僚制度、教育制度を一気に取り入れました。その背景には、列強に対抗するという国際的危機感がありましたが、その急激な変化は、地域共同体や文化的多様性を破壊する側面もありました。

「伝統」という言葉は、問い直しづらく、批判しにくい便利なレトリックです。しかしその実態が明治国家への郷愁や、軍国主義的要素への回帰だとすれば、それは保守ではなく“再設計されたイデオロギー”です。

そもそも、伝統とは押しつけるものではなく、受け継ぎながらも更新されていくものです。誇りとは過去に戻って得られるものではなく、今をどう生き、未来へどうつなげるかの中に宿るはずです。

国家観の不一致という制度的課題

実のところ、「伝統とは何か」「何を守るべきか」という国家観すら、政党内や国会議員間で一致していないのが現状です。これは、日本の国会議員が比例名簿よりも地域選挙区で選出される構造に起因しています。

地域の事情や価値観を背負って政治に参加するという建前は一見よく見えますが、実際には「国をどう守るか」「伝統とは何か」について合意形成が難しくなり、党としての一貫性ある国家観を築くことが困難になります。

だからこそ「伝統を守る」と叫ばれても、それが曖昧なまま、政治の道具になってしまうのです。

「進める保守、逃げない責任」から考える

本来の保守とは、過去を美化することではありません。積み上げられてきた制度や暮らしの中にある“意味”を見つめ直し、それを未来に向けて磨き続ける姿勢です。

だからこそ、私は「進める保守、逃げない責任」を掲げます。壊すことなく、戻ることなく、ただ黙々と育てていく政治。誰かの記憶に閉じ込められた“美しい国”ではなく、これからの世代と共に築いていける“しなやかな社会”を目指したいのです。

🧩 伝統という言葉への誠実な向き合い方

伝統や歴史を語ることは、本来、共同体の継続性を育む重要な営みです。ただし、それがいつ、誰によって、どのように作られたものであるかに誠実に向き合わなければ、それは「守るべきもの」ではなく「使われるもの」となってしまいます。保守とは、本来、問い直しと継承を同時に担う営みであるはずです。


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それは誰かに強制されたものではなく、自分の中に自然と根付いたものでしょうか?