第3章 エスカレーションのダイナミクス――ロシアの報復と国際的懸念
ウクライナによる「Operation Spiderweb」は、ロシアの戦略爆撃機能力に打撃を与えただけでなく、戦争全体の エスカレーションの構造に新たな局面をもたらしました。
ロシアはこの奇襲攻撃を自国領土への「違法な攻撃」と位置づけ、軍事行動の正当化の枠組みを巧みに組み替えつつあります。その結果、戦線拡大の動きが強まり、国際社会でも 核リスクを含む懸念が高まる状況が生まれています。
ここでは、このエスカレーションのダイナミクスを整理してみましょう。
奇襲作戦直後、ロシアはウクライナ国内への 即時的な報復行動に着手しました。キーウやドニプロペトロウスク州を中心に、電力インフラや鉄道網、軍需産業関連施設に対する 大規模なミサイル攻撃やドローン攻撃が行われています。
また、6月8日にはロシア国防省が ドニプロペトロウスク州への地上攻勢の開始を公式に主張しました。この動きは、軍事的な反撃というよりも 戦争目的の再構築を意図した政治的アピールの色彩が濃いものです。
というのも、これまでロシアは 親ロシア住民保護という大義を前面に掲げていましたが、ドニプロペトロウスク州はその論理とは関係のない地域です。ここへの進攻は、まさに ウクライナの奇襲が生み出した「自国防衛」の新たな口実を活用しているものと見られます。
ウクライナが意図したのは爆撃機能力の低下であり、ロシアの軍事能力への正当な防衛措置であったはずですが、結果としてロシア側はこれを 戦争のさらなる拡大の正当化材料として国内外に喧伝しているのです。
ロシア国内では、今回の攻撃は大きなショックをもって受け止められました。「ロシア領土の安全神話」が崩れたことで、国民の間では より強硬な報復を求める声が高まりつつあります。
政権内部でも、軍の無力さへの批判とともに、エスカレーションの必要性を主張するタカ派の影響力が増していると報じられています。プーチン政権としても、国内の支持を維持するために、戦争を「防衛戦争」として演出し、より広範な軍事行動に踏み切る余地を確保しようとしています。
その象徴が、ドニプロペトロウスク州への攻勢の開始です。ここは軍事的に見ればすぐに支配可能な地域ではなく、むしろ政治的なメッセージとしての意味が大きいのです。
国際社会でも、今回の事態は深刻な懸念を呼んでいます。とりわけ 核の影が再び色濃くなりつつあることが、各国の外交関係者を緊張させています。
ロシアは今回の事態を受けて、あらためて 「必要ならばあらゆる手段を行使する」との声明を出しました。これは明言こそされていないものの、核兵器使用の含意が込められていると広く解釈されています。
米国やNATO諸国は、非公式チャネルを通じて ロシア側にエスカレーション抑制のメッセージを送りつつあります。しかし、ロシア国内の政治状況や軍指導層の反応を見る限り、エスカレーション圧力は今後もしばらく強まる可能性が高いのです。
とくに 戦術核兵器の限定的な示威的使用が取り沙汰され始めていることは、冷戦後の欧州安全保障環境にとって極めて憂慮すべき兆候です。ここでいかに双方が「報復の報復」に歯止めをかけられるかが、今後の戦争全体の帰趨を左右すると言っても過言ではありません。
さらに、米国・NATO諸国の内部でも対応を巡る議論が活発化しています。表向きは引き続きウクライナの自衛権行使を支持する立場を維持していますが、ウクライナの深部攻撃が新たなエスカレーションの口実になりうることに対しては慎重な見方が強まっています。
米国内でも一部の議会関係者は、「ウクライナへの軍事支援が間接的に核エスカレーションを引き起こすリスク」を懸念しています。また、ヨーロッパ諸国の中にも、エスカレーションの連鎖を防ぐべく、ウクライナに対しても 慎重な行動を求める声が水面下で出始めています。
こうした状況の中で、ウクライナは自らの行動の正当性を維持しつつも、国際的な支持を維持するための慎重なバランス感覚が求められる極めて難しい局面に入っていると言えるでしょう。
最大の懸念は、こうした報復と再報復の構造が 「エスカレーションのスパイラル」に陥るリスクです。今回の奇襲作戦が、ロシアに侵攻拡大の口実を与え、それに対するさらなるウクライナの反撃を誘発し、さらにロシア側の強硬な反応を呼ぶという 負の連鎖がすでに始まりかけているとも見られています。
特に 誤算や偶発的な事件が一線を越える可能性があることは、外交当局にとって最も頭の痛い問題です。エスカレーションの制御は、軍事的手段だけではなく、外交的な枠組みの強化と危機管理体制の構築が不可欠となっています。
以上のように、「Operation Spiderweb」は軍事的な奇襲としては極めて巧妙で効果的でしたが、その一方で 戦争のダイナミクスに新たな不安定要素を持ち込んだことも否めません。
今後、双方がこのスパイラルをいかに制御できるか、そして国際社会がいかにしてエスカレーションの連鎖を断ち切る支援を行えるかが、極めて重要な課題となっているのです。